こちらの文章は2016年にnote上で連載したエッセイグルジア酔いどれ夜話の再録です。現在の私の考えと異なることや勘違いもありますが面倒臭いので記録の保存という観点から内容を変えずに再録しています。
第四夜
2016/05/24
2015年4月に呼称をグルジアからジョージアへと変更した、南コーカサスの国。日本ではあまり馴染みのないこのジョージアへ、シルクロード旅行中にたどりついたSiontakさんのコラムです。ジョージアとはいったいどんな国で、どんな生活をしているのか!?
5月6日の夕方、イスタンブル発トビリシ行きの飛行機の中で1人のDJと隣り合わせた。第一印象は怖そうな人。目つきが鋭くて髭もじゃ、胸毛ぼーぼーのタンクトップにパーカー、フードを目深にかぶってる。
それでも目が合った男はニッコリ笑って声をかけてきた。
「どこから来たの?」
「日本人だよ」
と言うと顔をくしゃくしゃにくずして
「オーマイガッ!ジャパニーズはどこにでもいやがるな、あ、ゴメン、いやオレ日本が大好きなんだよ。毎年仕事で行ってるけど最高だね。」
と、クセのある訛りでまくし立ててくる。
「君はどこの人なの?」
「オレはイタリア生まれだけど今はベルリンに住んでるんだ。」
「へぇ、いいねぇ。俺はトビリシに住んでんだよ。仕事で日本に行くって何?カメラマンとか?」
「おお!ジョージアにジャパニーズがいるなんて思いもしなかったぜ。なにしろジョージアのことはなんにも知らないからさ。オレの仕事?DJなんだよ。トビリシのクラブ、Bassianiって知ってる?今日やるんだよ。」
「え、今日なの?!Bassiani知ってるよ。トビリシで一番いいハコじゃないかな。でも今日は飛行機遅れたからトビリシまで車で飛ばしてもBassiani着くの早くても2時じゃね?ずいぶんタフなスケジュールじゃん。」
「おお、よかったよジャパニーズに会えてその上、Bassianiも知ってて。そのハコ、何人くらい入れるの?朝は何時までやってるか知ってる?」
「こないだ行った時は朝6時くらいまで踊ってたけどまだ終わる気配なかったよ。サッカー競技場の地下にあるハコだから大きいし、500人は入れるんじゃないかな。次の日に試合ない限り、いつまででも好きなだけやれるんじゃね?」
「オー!!イエスイエス!!よかったぜ。3時間やそこらで終わっちゃうとつまらないからな。」
「ていうか今日のBassianiのメインDJなんだ。すごいじゃん!」
「クラブ好きなんだろ、オレのDJ遊びに来いよ!ゲストで入れるように名前書いとくからさ。なんたってグルジアに友達一人もいないからゲストリストは空いてるんだ。いや、お前が最初の友達だ。ラッキー!」
「ホントに?いいの!? どんな音楽かけるの?」
「オレはDisco!なんでもありのDisco! ベルリンでHomopatikってGayパーティやっててさ、オレホモなんだよ。ベルリンで一番ヤバい音出してやってんだよ。いつも10時間くらいはオレが回すんだ」
「マジで!Discoか。Disco好きだよ。行く行く!」
「よし、朝まで踊ろうぜ!」
イタリア訛りの怒涛のおしゃべりはまるで止まらず、結局トビリシに着くまで話し続けてしまった。
日本は毎年ツアーで各都市回ってるそうで日本のいろんなところで撮った写真を見せてくれたり、たこ焼きがいかにマーベラスでファンタスティックであるか話したかと思えば、EUの移民システムのダークサイドについて怒りを込めて話しだしたり、見かけどおりのパンクな、それでいて真面目でやさしい男だった。僕はビールをがぶ飲みしながら、彼はDJ中と前は飲まない主義だそうで僕の分のビールもらってくれながらDJ前でも緊張とは無縁なのか、ひたすらしゃべり続けてFacebookも交換してしまった。
トビリシに着き、税関を抜けて彼、フランチェスカ(男性名だったらフランチェスコのはずだけど・・・カと僕には聞こえた。)と別れる時、
「そうだDJネームを聞いてなかった、教えてよ。」
と聞くと、
「Mr. Ties!首に巻くネクタイのタイ!後でな!」
と言ってBassianiのスタッフと空港を出て行った。
名前に聞き覚えもなかったので、その時は彼が今日本でもかなり有名なDJだとは知らなかった。ぼんやりとTiesってネクタイじゃなくて絆とか縁って意味でつけたのかなと思いながら、彼にグルジアは今も宗教上保守的でホモフォビックな人間の多い国であることを伝えるべきか迷いつつ、結局言えなかったことに一抹の不安を感じていた。
そう、グルジアはホモフォビア(同性愛嫌悪者)の多い国なんである。その大きな要因の一つは正教会の伝統に根ざした保守性にあるのだろう。日本でも最近はLGBTの権利が話題に上ることが多い。今年のGWにあった東京のレインボウプライドは何万人もの動員があったものの、日本はLGBTの理解において、欧米や東南アジアと比べてもまだ後進国。ところがグルジアはそれに輪をかけて遅れている。
一例を挙げれば2013年にグルジアで初めて開催されたGayプライドパレード。参加者20~30人だったことが問題というのではなく、このごく小さなパレードを数百人の宗教的暴徒が襲ったことだ。グルジア人の友達に初めてこれらの動画を見せられた時は本当にびっくりした。
パレードと袋叩きにあう参加者
暴徒と警察が用意した車両で避難する参加者
これが過去のことと切り捨てることのできないのは、今でもコメント欄で動画を賛辞するホモフォビアたちが多くいることからもわかる。以来、グルジアでゲイパレードが行われたという話は寡聞にして知らない。
僕のグルジアの友達(女)の親友の男はゲイだがそれを隠すために、彼はドイツへの留学が決まるまでの間、何年も偽装カップルの関係を続けたという。殺されたくなかったらゲイであることを隠すか移民するしかない、僕がイランで見たのと同じ状況がこのグルジアでも起きてることに衝撃を受けた。
一方でなんでこんな保守的な社会環境の中で警察を多数動員してまでゲイパレードを敢行するのかとも疑問にも思うだろう。
そこにはグルジア政府の意向が働いているのだという。グルジアは独立後一貫してEU加盟を悲願としている。それにはEUが加盟条件とする社会環境を達成することが求められる。
民主主義、市場経済、環境保護などと並んで重視されるのは人権であり、その中にはLGBTの人権も含まれる。
LGBT問題への取り組みという姿勢は耳目を惹きやすいだけにイスラエルのピンクウォッシュと同じような効果を発揮する。グルジアに限らずEU加盟を目指す各国政府はゲイパレードを無理にでも実施しているところが多い。今年のコソボもそうだった。最近は日本の政治でもLGBTについて発言が増えてるとか。見せかけだけでなく中身がともなってくるといいんだけど。
話を戻すとフラットに荷物を置いた僕はBassianiへ向かった。エントランスで名前を言って中に入れてもらえたのはもう4時近かった。ピークの時間は過ぎていたとはいえ、まだ300人くらいの人が踊っていた。
Bassianiはいつもと違った。そこには多くのLGBTがいたのだ。音楽に夢中になりながら派手に化粧したガタイのいいドラグクィーンたちは身体をクネクネさせている。上半身裸で抱き合って肌を吸い合う男たち。短髪のトムボーイもいる。今日のパーティはどうやら思いっきりゲイフレンドリーイベントだったらしいぞ……。
台北に住んでいた時も時々ゲイイベントに顔を出したことはあったのでこの雰囲気自体に抵抗感はなかったが、グルジアでこんな光景を見るとは!グルジアにもこんなにゲイがいたんだ!
一番前のDJブース前まで行ってみると数時間前に知り合ったばかりのフランチェスカがにかにか笑いながらレコードを取り替えている。僕が手を振って声をあげると気付いて顔をくしゃくしゃにして応えてくれた。
最前面はゲイの男たちとドラグクィーンたちでいっぱい。みんなにこにこして踊っている。グルジアのクラブではアジア人ということで僕は良くも悪くも目立ってしまうのだけど、彼らの笑顔は僕に対しても変わらなかった。
ビアンの友達にもばったり出くわした。僕とわかるとハグとキスを交わした。(グルジアでは挨拶代わりに普通に頬キスを交わすので特別な意味はない。)
彼女は酒の飲みすぎか、もしかしたらMDMAかなんかを摂ってたのかもしれない。興奮した調子で「よく今日のイベントに来たね!今日はここがトビリシで一番の場所だぜ!」と言ってもう一回抱きしめてきた。
同感だ。僕は今のところ、自分で自分をゲイだと思ってないし、ゲイカルチャーやその権利や問題について十分な知識を持ってるわけじゃないけど、この晩のBassianiのパーティは最高だった。誰もが自分らしくあることにストレスフリーでいられ、それを互いに尊重している場があった。
ゲイだけのためのパーティではなくて誰もが楽しんでいいパーティだった。性別や性的志向や人種を差別しない一体感があった。
その日は随時レッドブルウオッカを補給しながら朝8時まで踊ったところでバッテリ切れ。音が止まるその時まで踊りきることができなかったのは痛恨だったがしばらく忘れかけていたアンダーグラウンドカルチャーの理想的な体現を見た思い。酔いと疲労とでふらふらとすっかり明るい路地を歩いてるとこんな落書きが。
Mr TiesのDJはYouTubeで聴ける。今年も夏にはJAPANツアーがあるそう。
グルジア/ジョージアで観光ガイドをしています。お問い合わせはこちらから