シュクメルリ異聞

松屋のおかげですっかり知名度の上がったジョージア料理のシュクメルリ。いつもお世話になっているSAKURA TRAVELのタムナさん(Tamar Dokvadze)と松屋のシュクメルリ定食の話をしていたらビックリする話を聞いた。タムナさんは日本に何年も住んだことのあるジョージア人の女性で日本語も上手で日本の旅行者の観光のお手伝いをしている方。

なんとそのタムナさんの曽祖父がシュクメルリという料理名の命名者だという。
僕はタムナさんの人柄を信用しているけれど客観的な証拠はないのでシュクメルリの起源をめぐる仮説のうちの一つとして読んでもらいたい。

タムナさんの話を書く前にシュクメルリという料理についておさらいしておこう。

一、シュクメルリは鶏料理。
一、丸鶏の鉄板焼きをニンニクソースで和えたもの。
一、ソースはクリーミーなもの透明タイプの二種類に大別される。
一、シュクメルリという名はラチャ地方のシュクメリ村に由来する。

グルジアにおけるシュクメルリも何種類かのヴァージョンがあるのだけど、おおよその定義としては上のようになる。下の動画は二年前にジョージアのTV番組がシュクメリ村を訪ねてシュクメルリの作り方を紹介したもの。(当然ながらグルジア語。冒頭はバターづくり、シュクメルリレシピは3:38~、後半は別料理)

動画の中でシュクメリ村伝統のシュクメルリレシピには牛乳もアラジャニ(サワークリーム)も使わないと村のおばさんが断言している。乳製品として使うのはバターのみ。シュクメルリはトビリシに伝播してから牛乳やアラジャニで濃厚なクリームソースとなったのかもしれない。日本に渡ってからはチーズも足されてより濃厚になった。

左からラチャ式シュクメルリ、トビリシ式シュクメルリ、松屋シュクメルリ

これは僕の知っていた話と同じでシュクメルリはシュクメリ村の郷土料理だという説。タムナさんが語ってくれたもう一つの由来譚は前説と矛盾しないものの、それがどのようにジョージア全国に知れ渡り、シュクメルリと呼ばれるようになったのかというもの。

シュクメルリという料理がトビリシに広まったのは実はそれほど古くはない。タムナさんの曽祖父ვასილ კალმახელიძე(ワシル・カルマへリゼ)さんはロシア帝国末期から1920年ごろはモスクワの有名なグルジアレストランでチーフシェフをしていた。ソ連になってからはグルジアに帰り、トビリシに住んでいたがもともとの生まれはラチャ地方のジャシュクワ村。ラチャのこのあたりへトレッキングに行ったことがあるが、かなりの山奥である。
トビリシで隠居生活を送っていたが娘の夫(タムナさんの祖父)が第二次大戦で亡くなってからは娘と孫の生活のためにトビリシでまた料理の腕を振るい始めた。
場所はトビリシ一の目抜き通りルスタベリアベニューの国会前にあった一流レストラン。場所柄政治家や要人が訪れるところだったそうだ。

とある晩、閉店間際に常連客が飛び込んできてなんでもいいから食べるものを出してくれと注文があった。食材もあらかた片付けてしまっていて困ったが、断ることもできないので残っていた少し鮮度が落ちた鶏をタバカにしてみた。タバカとはこれも有名なグルジア式鶏の丸焼き。

タバカとは油をひいたフライパンの上に腹を割った丸鶏を平たくつぶして揚げ焼いたもの
By Georgia About, CC BY 3.0,

しかしこのままでは少し臭いがが気になりそうだ。フライパンには鶏油が出てバターに混ざっている。これに水と塩、殺菌用にニンニクをたくさん入れて混ぜたソースをタバカに浸して出した。
これが大好評、「なんという料理か」と訊かれた曽祖父さんは「名前なんてものはありませんが自分の故郷ではタバカをこのようにして食べるのです。」と答えた。
「出身はどこか?」曽祖父さんは自分の故郷ジャシャクワ村と言ってもわからないだろうからと、10㎞も離れていない隣村で巡礼の地として有名な「シュクメリ村の方です」と答えた。これがきっかけとなってこれまでラチャ地方で食べられていた名無しのタバカのニンニク和えはシュクメルリという名を授かったそそうな。
その後シュクメルリはお店の看板メニューになり今ではトビリシ中のグルジアレストランに並ぶ定番メニューとなったという。

シュクメルリでWikipedia記事を検索してみると現在シュクメルリについて記事が作成されているのは日本語英語トルコ語オランダ語中国語の5言語しかない。日本語記事の編集履歴を見ると2020年になってから作成された新記事だし、そもそもグルジア語ですら記事がないのだからまだまだ世界的な知名度はないと言って差し支えないだろう。
そんな料理が今日本で大注目されていて、シュクメルリの命名者の曾孫タムナさんは日本に長く暮らし、今も日本とグルジアの間を取り持とうと日々頑張っているのは不思議な縁のように思える。

タムナさんに松屋のシュクメルリはオリジナルとだいぶ異なるレシピみたいだけどどう思う?と訊いてみた。(僕もタムナさんも松屋のシュクメルリ定食は食べたことがない。)
「味や見た目が変わったって日本にまで曽祖父さんの料理が伝わってうれしいです。トビリシで今一般的に食べられているシュクメルリだってオリジナルとは全然似てないしね。トビリシにあるお寿司も日本のものとは全然違うものだけどジョージア人はそのお寿司を通して日本文化や日本人に親しみを感じてるの。これをきっかけに日本の方がもっとジョージアに興味を持ってくれたらうれしいわ。」

「文化は海を越えるとよりその輝きを増す」とはうろ覚えながらさる歴史学者のアフォリズム。けだし至言であろう。

シュクメルリと乳化

蛇足になるけどタムナさんの話を聞きながら、また後で調べるうちに気になったのは料理における「乳化」技法とシュクメルリの関係。この項はヒマな料理好きだけ読んでください。

「乳化がコツ」とかパスタレシピでよく見かけませんか? 本来分離してしまう水分と油脂を細かく混ぜ合わせることで一定期間分離させない状態を乳化というんだそう。ペペロンチーノではゆで汁とオリーブオイルを混ぜ合わせて白っぽく濁らせたソースがうまさの決め手。これと同じ乳化技法が古今東西様々な料理のおいしさの秘訣として用いられている。一晩以上もかき混ぜながら作った豚骨スープの濁りにもそれが言えるし、市販されるカレールーは大量の油脂を小麦粉で固めたものでこれで肉野菜を煮込んだスープと混ぜ合わせると簡単に乳化状態に持ち込めるようにしたのが日本におけるカレーの日常食化成功の原因。調味料でいえばマヨネーズも乳化調味料だし、牛乳も水分に油脂が溶けたものだ。

勘のいい方でなくてももう気付いたでしょう。シュクメルリもまた乳化が決め手となる料理なのだ。シュクメリ村のシュクメルリもタムナさんの曽祖父のシュクメルリも牛乳やサワークリームを使わずにフライパンに残ったバターと鶏油を熱しながらニンニク水で混ぜてから鶏肉に和える。これはまさしく乳化工程。当然熱やかき混ぜ方その他のバランスでうまく乳化させるにはコツがいる。

新たに生まれる仮説

トビリシで現在広く流布されているレシピの多くは牛乳かサワークリームを使用するレシピ。これって乳化失敗を回避するためのレシピだったのではないか?もっと安いレシピは牛乳やサワークリームの代わりにマヨネーズを使うのだけど、どちらも水と油を混ぜて乳化させるのは面倒だから牛乳かサワークリーム、またはマヨネーズをぶち込んでしまえという発想。もしそうだと想定するとなんだかカルボナーラを作るのに牛乳or生クリームを使うことに似てやしないか?
これ以上は料理の素人が言及すべきことではなさそうな・・
上述したように変化は好ましい進化のきっかけだと思ってるし、オリジナルレシピこそが至高だと考えているわけでもない。見識ある専門家の論考を待ちたい。
日本に帰ったら松屋のシュクメルリ定食食べたいな。

シュクメルリについてnoteでも比較的短い文章を書きました。よかったらどうぞ。

僕もグルジア/ジョージアで観光ガイドをしています。ワイナリーツアーなどお問い合わせはこちらから

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