グルジア聖なる酔っ払いの伝説 第九夜

こちらの文章は2016年にnote上で連載したエッセイグルジア酔いどれ夜話の再録です。現在の私の考えと異なることや勘違いもありますが面倒臭いので記録の保存という観点から内容を変えずに再録しています。

第九夜
2016/08/09

2015年4月に呼称をグルジアからジョージアへと変更した、南コーカサスの国。日本ではあまり馴染みのないこのジョージアへ、シルクロード旅行中にたどりついたSiontakさんのコラムです。ジョージアとはいったいどんな国で、どんな生活をしているのか!?

第2、4火曜日更新
<著者:Siontak>

前回のグラフィティのおまけ

職場の近くあったグラフィティ。見覚えがあってなんだったかな・・と職場についてからも考えてたら思い出した。

これ、グルジアの画家ニコ・ピロスマニの絵にオマージュしたグラフィティだ。

ニコ・ピロスマニはグルジア人が最も愛するグルジアを代表する画家。グルジアの旧1ラリ札には彼の絵が使われているほどだ。

↑左が旧1ラリ札、右が原画で、左下の肖像画はピロスマニ。

僕はグルジアに来るまで彼については知らなかったけど、いつの間にか好きになってしまった。ピロスマニの描いた絵にグルジア人はグルジアの原風景を見ていると僕は思っている。僕ら外国人が見てもそこにおとぎ話のようなグルジアが見えてくる。

今日はグルジアの聖画家ニコ・ピロスマニについて紹介したい。

代表作の一つ、「漁師」

片手にナマズ、片手に容器を下げた漁師が朱色の上着に黄色い帽子とずいぶん派手な格好で暗闇から現れてきたところ。なんとも印象的で僕も好きな一枚。

東グルジアには海がないので魚といえば淡水魚。今では養殖の鱒をよく見るが、たまに生簀に入ったナマズを見ることもある。ナマズは夜行性なのでグルジアの漁師が暗闇にナマズをぶら下げてるのは実は道理に合ってる。台湾やタイのナマズ料理は僕の好物なので、いつかグルジア料理でもナマズを食べてみたい。

はじめのグラフィティと並べてみるとこのとおり。

ニコ・ピロスマニは19世紀のグルジアに生きた放浪の酔いどれ絵描きだった。現代でこそグルジアに限らず世界にファンを持つ画家だが、生前は評価されることのなかったタイプの職業画家だ。

カヘティ地方に生まれた後、紆余曲折を経てトビリシにたどりついた彼は居酒屋や食堂で一宿一飯と絵の具代をもらい、店に飾る絵や看板を描いてはトビリシの街をさすらった。彼の絵は素朴で人々によろこばれたが一方で誘われても大勢での酒宴には混ざらず、一人で飲む酒を愛したという。

居酒屋に掛けられていた絵の一つ


ピロスマニの絵は黒地のキャンバスに描かれることがほとんどで、半地下にあることが多く薄暗いグルジアの居酒屋にしっくりと合ったのだと思う。

この絵には子豚にナマズ、牛肉、ソーセージ、ツワディ(串焼き)、丸鶏、果物、瓶詰めのワインなどグルジアのご馳走が並ぶ。中央下の白いのは羊の皮でつくった伝統的なワインを入れておく袋。

ピロスマニは絵画を学んではいないが独自の画法を確立していたそうだ。非常な速描きで一枚を数時間で描き上げたとも言われる。上の絵も実物を見ると黒い部分はほとんど塗り直されておらず、文字通り暗闇に浮かび上がるように描かれているのがわかる。

↑ブリキ板に描かれた看板

ピロスマニの絵は出展するために描いた「作品」ではないのでタイトルがない。あったとしても後年つけられたものだ。この絵は居酒屋の看板だった。ロシア語とグルジア語が併記されている。グルジア語の方はცივი ცივი პივა(ツィヴィツィヴィ ピヴァ)とある。日本語に訳すなら「つめた~いビールあり〼」みたいな感じか。19世紀のグルジアトビリシにこんなビアガーデンがあったかと思うとすごくワクワクしてしまう。

ピロスマニはブリキ看板も沢山描いたけど雨風にさらされて腐食してしまったものが多く、今に残っているものは少ないんだそうだ。

グルジアらしいワインを題材にした絵。

グルジアの伝統的なワイン製法に必須の葡萄を醸す壺「クウェヴリ」を中央にすえて左に猟師、右にキツネと葡萄を背負った農夫。なんだか童話の挿絵みたいでバックストーリーが透けて見える一枚。

たくさんの人やものを描きこんでいろいろなドラマをつめこんだような絵も多い。自身は大勢で飲むのを好まなかったがこの絵には4つもの宴席が描かれてる。楽隊やおどけた太鼓持ちを従えたにぎやかな宴会のそばで荷を積んだロバを追う少年や鎖につながれた熊に羊、一人絵を抱えて座る男とさびしげなモチーフもおりまざっている。

ピロスマニは見合いの失敗や日本でも加藤登紀子が歌ったことで有名な「百万本のバラ」に書かれる大失恋の逸話が知られるが結局、生涯を独身で通した。

パンとワインのほかは絵の具代だけを必要とした彼の生活はとても貧しかったが当時のグルジアでは珍しいフェルト帽にスーツを常に着ており、孤独で誇り高い彼をトビリシの人はからかい半分で「伯爵」と呼んでいたそう。

↑いろいろな動物の絵も描いていた

暗闇に白く輝きを帯びて描かれる動物たちは夜の静寂の中でつぶらな瞳を見開いている。その純粋さは時に神々しさまでともなってくる。

これらの絵は居酒屋にはそぐわないけどどこの家に掛けられていたのだろう。

すでにピロスマニのファンになってしまっている僕の賛辞を一方的に聞かされても困ってしまうだろう。

日本ではピロスマニの映画が昨年リバイバル上映された。

また彼について日本語で書かれた本もある。映画の1978年初公開を手がけたはらだたけひでが何冊もピロスマニについての本を書いている。どうやらこの人が日本におけるピロスマニの第一人者らしい。映画を見て、彼の思い入れたっぷりの本を読んだ後に僕は改めてトビリシにある国立ギャラリーに絵を見に行った。上の写真はすべてそこで撮ってきたものだ。(撮影OKなのがうれしい)

映画や本を絵を見る前に見るか、後に見るか、どちらがいいかはわからないがあわせて見ることで興味と理解が深まることは間違いない。おすすめ。

僕はピロスマニの絵になぜだか宮沢賢治を重ねて思い起こした。宴会で飲む酒は人を朗らかに弛緩させるが、一人で飲む酔いは神経を研ぎ澄まし心を透き通らせていく。ピロスマニも賢治もその時代、その国では異端の変わり者だった。今になってその純粋なまなざしが多くの人に愛されている。そんな人の存在をグルジアに来て知ることができてうれしい。

グルジアの友人から一番好きな絵だと言って贈られたピロスマニのポスターの原画も見ることができた。

今度の満月は山で一人酒がしたい。


グルジア酔いどれ夜話
第九夜           第十一夜

グルジア/ジョージアで観光ガイドをしています。お問い合わせはこちらから

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です